なんでも書いていい紙

人を惹きつける話がしたいって?

久しぶりの更新なんですが、理科ネタではなく落語関連かつハイパー内輪ネタです。

 


ちょうど今大学のサークルは新歓シーズン真っ只中で、僕の所属している落語研究会にも新入生が毎週見学に来てくれます。ありがてぇ。

 


落研に来てくれる理由もだいたいパターンがあって

 


・落語やお笑いが好き(もしくは興味ある)

・新歓寄席で面白かったから

・お囃子がやりたい

・人前でうまく話せるようになりたい

 


落研に4年間も浸っていると、新入生が来るのはこの4つのどれかかなぁと思います。

 


この最後の「うまく話せるように」というもので、少し今日感じることがあったのでチラ裏のお話を...

 


今日来てくれた新入生の子の理由がまさにこれで、惹きつけるような話が出来るようになりたいとのこと。

 


個人的に「めっちゃええ理由やん~」と思います。僕自身落研っていう先入観もあれど結構色んな人に「話が上手いね」とは褒めていただけますし。

 


色々話を聞いていくと、国際支援のサークルに入っていたり、オーケストラの新歓に行ったりしていて、「興味の幅が広いな...!」と思っていました。

その中で、

「起業部にも興味があって」

と彼は言っていました。

 


起業部...?

 


僕はその界隈には疎いのですが、名前は聞いたことあります。良くない意味で。

「北大 起業部」で調べればわかると思いますが、あちゃーって情報がゴロゴロ出てきます。真っ当な団体ではない感じです。

 


僕側としては色々情報を示して、彼にはあまりその団体はオススメしない旨を伝えました。おそらく入ることはないということでしたが、彼曰く「新歓での話を聞いたら結構真面目に活動してて、トヨタに勤めてた人とかも指導してくれる」そうです。

 


ここでちょっと僕は引っかかったことがあります。

 


彼にとっての「人を惹きつける話し方」って何だろう?

 


「人を惹きつける」というとすごくいい感じに聞こえますよね。その一方で「言葉巧みに」という言い方もあります。どっちも行為としては同じですよね。

 


ひっでぇ内容でも、ちょっとしたレトリックで、ほんの少しの言い方の差、間の取り方で如何様にでもなります。内実が乏しくても、説得力のある言い方はできてしまいます。

 


色々ツッコミどころはあるんですが、なんかそれに気づかせないような工夫があったんでしょうか。

 


さておき。

 


起業部に関しては詳しく知らんのでこれ以上ツッコミません。怖いし。

問題なのは「惹きつける話し方とは何なのか」「それは落語で習得できるのか」という点です。

 


完全に私見ですが、落研で磨かれる(であろう)話の上手さは


・ストーリーの構成力

・抑揚をつけて話すこと

・滑舌と声量


が大きいかなと思います。


最初のは「どこで盛り上げるか」ということです。

落語だと”オチ”を第一に考えられる方が多いかと思いますが、それよりも「その話のどこが一番キモなのか」を明確にすることが大事です。自分が一番面白いと思ったところ、聞かせたいと思ったところが最も生きるように、話の構成を考えます。

いらない枝葉を切り落としたり、逆にくだりを足したりして、話をゴリゴリ編集します。

 

むしろオチは2番目の抑揚に関わります。

先輩が言っていたのですが、

「サゲ(落ち)はそこまで上げていたテンションが、ストンと落ちるから、落ち」

だそうです。

僕もこれに同意します。テンションやキャラに応じた話し方が抑揚です。自分の考えた筋がお客様の耳に違和感なく届きやすくするための抑揚です。どれだけ抑揚をつけたと言っても、それが耳心地の良いものでない限り意味はないです。


3番目の滑舌と声量は一番基礎で一番時間がかかるところです。

抑揚をつけても届かないと意味がないです。それに、不思議と、声が大きく堂々としてるだけで、面白く聞こえやすくなるものです。「でかい声の人は面白い」って先輩が言ってたなぁ。

滑舌がいいとお客様は聴いていてストレスがないです。

落語は「話芸」なので、一度成立する話があれば、どうやってお客様に心地よく伝わるかの勝負の気がします。

 

 

惹きつける話し方ですが、一般生活での惹きつける話し方というと、その先の「自分の主張を納得させる」ところまで含めている場合がほとんどだと思います。こっちを向いてもらって、自分の主張を論理的、感情的に相手に訴えかける。惹きつける、というか緩やかな説得です。


落語の方はというと、「演者の空間に引き入れる」ことができてしまえばそれでいいのです。何か特殊な主張を認めさせようとはしない。ただ、お客様にこちらを向いてもらって、釘付けになってもらいたい。集中してもらいたい。話の世界に没頭してもらいたい。

米朝は催眠術、談志はイリュージョンと呼んだのはきっとこれでしょう。

 


さーて、書いてみて否定できるかなと思ったんですが、これは微妙ですかね。

役に立つとも、立たないとも言えると思います。そもそも「惹きつける」が何を指してるかが違うので。


レトリックを使うとか、援用するとか上手くちょろまかすのは、確かに編集だし、通ずるものがあります。それに声は大きいに越したことはないですね。

ただ、先にも述べたように、一般社会の「惹きつける話」では説得要素が入ってくるので、多分落語では役不足な気もしなくもないです。

 


では僕は上手いこと話を言いくるめられる弁の立つ人間に、新入生になって欲しいか、というと...嫌です。


正直そこで終わってほしくないです。


そもそも落語は馬鹿馬鹿しいお話ですが、現代にだって十分通じる面白さがあります。果てしなくくだらない話、恋愛の話、ちょっと泣ける話、怖い話、色々です。


登場人物にもその話ごとに違う癖があって、本当にやっている時にその人に「なりきる」ことができるし、何だったら登場人物が「勝手に喋ってくれてる」と錯覚することさえあります。


また、個人的に「自己表現」としてすっごく魅力的です。ベースの台本はあるのに、演者によって解釈ややり口は千差万別です。一番面白いと思う所も個人差があります。

自分が「これだ!」と思うものをぶつけて、それがハマった時の達成感と言ったらないです。


「人を惹きつける話」が入り口でも確かにいいと思うのです。

でもその先で、落語ならではの機微を楽しんだり、自己表現を追求したりして欲しいなと思います。

逆に、「惹きつける話」のツールとしてしか落語を見れないのなら、それは浅はかですし、コスパ悪いなと思います。

 

 

なんてことない新入生の言葉から、めちゃくちゃ長文錬成した自分がキモいです。落研に染まったんだなあ。

学生落語とはいえ、一通り染まった身として、なんか落語がビジネスツールとして転用されることへの違和感を整理しました。参考になれば幸いです。