なんでも書いていい紙

書きながら考えた。

地頭がそうでもないので「努力で解決した」っていう矜持があった。

小学校では割合でつまづいたし、中学でも1番にはなれなかったし、高校でもそんなに中の中くらいだったのに。

世間から見たら結構いい大学に来ることができた(できてしまった)と思う。

 

 

「あれ、僕ひょっとしたら頭いいのかも?」

 

 

思い上がりも甚だしいが、勉強を続けて、その勉強もシームレスに研究に繋がるだろうとも思っていた。

ただ、研究室選びが本格化してきてちょっと考えることがあった。


今まで自分が当たってきた壁は本当に「努力でしかどうにかならないもの」だったのか。ということ。受験然り、勉強然り、音楽然り。

 


ひょっとしたら自分クラスの人間が努力でどうにかなる程度のことしか、自分は挑んで来なかったんじゃないのか。

それを解決した気になって、悦に浸っていただけではないのか。

いや、むしろこの程度の人間ならば「努力で解決できるもの」しかそもそも一生見えないのかもと思ってきた。


そう思うと、急に自分のやることに全部制限がかかっているようですごく窮屈だった。


頑張れば解決できる範疇のもので試行錯誤する人生と、解決できなくても圧倒的なものに触れる人生とどちらが幸せだろうか。

 

ん?

ここまで書いてて思ったんだけど、頑張れば解決できる範疇のものって意外と広いのか?

例え圧倒的なものであったとしても、それは分割すればどうにかなるんではないか。


これだったら、どんなものにだって自分は立ち向かっていけるはずだし、解決できる、悩むことはできるはずだ。


効率は悪いかもしれない。速度は遅いかもしれない。間違うかもしれない。早急な結論を出してしまうかもしれない。ただ、自分のポテンシャルを、もっと言ってしまえば才能、を信じるしかないのだ。


人と比べれば、自分の考えがひどく陳腐に見えてしまうことがある。現にそう見える。今の時点で実験計画を立てている同期に勝てる気がしない。


ただ、勝つわけではない。時間としては1年与えられている。その時間で自分が全力でやってできる限りのものを、最終的に出せたらいいな。


そうやって出したものは、他の人と比べれば陳腐なのかもしれないが、確実に世界に新しい洞察を与えることができるはず。


結局何も解決してない??

堂々巡り??

車輪の発明??

それでも良いのです。

書くことは考えることなので。

これを通して考えていたのです。