なんでも書いていい紙

駄文リハビリ

2年間くらいまったくブログを書いていませんでした。

かと言って「長い文章を書いていない」ということは全くないです。むしろ申請書とか報告書とかのオフィシャルな文章を書く機会があるので、文章を書くこと自体は増えているんじゃないかと思います。ただ、そのような文章は証拠とか事実に基づいて書くので、リファレンスなしでただ自分の思考を垂れ流すような文章を書く機会はだいーぶ減ったのかもしれません。あと、昔は落語とかのイベントがあったときに色々書いていたので、あまり定期的に落語をしなくなってしまったのも書かなくなった原因かなと思ってます。

いつの間にか修士課程が終わって、気づいたらD1になっていました。相変わらず時々(結構?)、「僕は無能だ(※注1)」みたいなBADに入ることはあるんですが、半ば諦めるようになってきました。別にマイナスな意味ではなく、「やっと分かって来たかも、このポンコツの操縦の仕方を(※注2)」という感じで、なんとかこの性質を上手く扱っていくしかないか〜って思うようになって来たという感じです。これを繰り返していくと、際限なく自分を甘やかしていってしまいそうですが、そうならないように適度に負荷を自分自身に与えながらやっていけたらいいなと思います。

博士課程で、もちろん論文も出さないといけないんですが、ぼんやりと「修了したらどうしようかな〜」とか考えるようになりました。個人的には博士を取れたら、せっかくだから少しだけ海外で働いてみたいなと思います(ところで、外国=海外なのって島国ならではですよね)。あと、今はあんまりその感じがないんですが、生物学やってるからには、どこかで進化のことをやりたいなあ、とも思っています。あと、教師に対する未練もどこかにあるので、なれたら先生にもなってみたいです。ええ、「なれたら」の話ですが...

と、将来のことは色々想像できて楽しいんですが、肝心の論文をまだ一本も書けていないのが恥ずかしいところです。今のことに集中する、一つのことに専心するというのがなかなか苦手で、研究者として致命的だな...と思っています。そんな自分の性質をどのように騙して、上手く扱って成果を出してやるか。自己管理力が試されてるな〜って感じです。頑張らねば。

えらいとりとめがないですが、明日も元気に9時からコアタイムなのでこれにて。

 

注1: 最近のBAD https://twitter.com/kisaraginodoka/status/1555938914526826497?s=21&t=TnbbhdBHZD5loPImdcGz2w

注2: Creepy Nutsはいいぞ。https://youtu.be/7F_un08wc5A

配信寄席をやりました

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寒空の下、豊平川河川敷までわざわざ行って撮ったポスター用写真。この時はこういうアンニュイな表情をすることが、「面白い」と思っていた。


11月22日に、初めて落語の生配信というものをやってみました。 

Beforeコロナの世界ではなんだかんだ数か月に一回はお喋りしていたのですが、コロナになっちゃったな~、と思っていたら、あれだけライフワークだと放言していた落語をおよそ1年近くやっていませんでした。

今年の10月に入って後輩(大人爾成亭難詩くん)と「やろうか」ということになって、少しだったらお客さんも入れられるかな~と思っていました。ところが、あれよあれよという間に感染が再拡大し、とてもではないけどお客さんを入れられる状況ではなくなってしまいました。さらに大学のBCPレベルも上がり、対面課外活動禁止になってしまいました。

どうしようかな…とも思ったのですが、部屋も借りてしまっていたし、なんだかんだ落語をやりたかったので、結局『同じ部屋には同時に1人以上は入らない状態で配信を行う』というストロング対面防止スタイルをとって、演者が変わる毎に換気・消毒を行って配信寄席を実施しました。結構厳しめな条件でしたが、協力してくれた難詩くん、ゲストの月見さん、ありがとうございます。(普段苗字呼びだから慣れない)

 

当日は本当に見てくれる人がいるんだろうか、と不安でしたが、当日は平均して15,6人の方には見て頂けていたようで。学生の落語としてはかなりたくさんの方にご覧いただけたのかなと思います。見るよ、と連絡をくれたり、感想をくれた方もいて、ありがてぇ~。いや、マジでありがとうございます。

やってみての感想なのですが、配信の技術的な難しさはもちろんのこと、やっぱり人が目の前にいない空間でただしゃべり続けるというのは、相当難しかったです。前は「お客さんがいて緊張する~」と言っていましたが、逆にいない方がずっと緊張しました。

僕はマクラから台本から、かっちり決めるタイプで、正直対面でやっていた時はそんなにお客さんと対話しているみたいなことは特段意識していませんでした。ただ、今回配信をやってみて、意外とお客さんの反応を伺いながら、もっと言えばお客さんに助けられながら落語をやっていたんだな…と気づかされました。笑いとかの反応がリアルタイムで伺えないのは結構辛かったです。

生の寄席だと、場の雰囲気に助けられて笑いが起こるというのはかなりある気がします。ただ、配信となると空気感とかを作るのは難しいな~と思いました。それに、生の寄席だと、「その場限りを楽しむ」って感じでしたが、配信だとアーカイブで見る人も結構多い気がするので、今まで以上に後から見ても面白いもの、しっかりコンテンツとして面白いものを目指していかないと、お客さんは見てくれないだろうな…と思いました。YouTuberはすごい。

 

今回の配信ですが、一応アーカイブが残ってる(はず)です。著作権の処理とかが終わり次第以下からご覧いただけますので、気が向いた方はぜひ視聴してみてください!

youtu.be

むっず!

 

 

 

もうすぐTwitterアカウントが10歳になる

自分がアカウントを作ったのは2010年。

当時やっていたブログの人と交流するために作ったアカウントだった気がする。「ほかってきまー」「めしってくる」「なう」「わず」。例えがアレで申し訳ないが、ちょうどなんJ民のようにそのコミュニティだけのネット方言を使ってのほほんと使っていた。別に超バズる人でもないしインフルエンサーでもないけど、細々と10年弱続けてきた。そのため小中高浪(?)大のすべての人間関係もこのアカウントに詰まっているので、中学の同級生に子供が産まれたのも知っているし、浪人中の友達がソーダフロートみたいな色に髪を染めたのも知っている。久しく会っていない友達の近況を知れるのは楽しいし、同じ考えを持っているひとに「いいね」するのも楽しい。いつでも繋がろうと思えば繋がれるし、嫌なワイドショー見なくても情報入ってくるし。今回の自粛生活で特に閉塞感も孤独も感じることはなかった。

 

ただ、急にTwitterを見るのが嫌になってしまった。ふと俯瞰してみると刺々しい言葉を吐いている人が多いな、と思うようになってしまった。中傷で自殺まで追い込まれた人がいるのは本当に酷い。SNSいじめに関する話は聞いていたし、今までもそんな例山ほどあっただろうし、ただ自分が知らなかっただけ。ただ今回ので急にそのことがありありと意識させられた。知らぬが仏とはよく言ったものかもしれないが、知らないうちに自分も加害者側になっていたら...と思うと恐ろしい。いずれにせよ、ちょうどワイドショーを見るのが嫌になるのと同じように、Twitterを使いたくなくなってしまった。

 

もちろん欲しい情報が自動で入ってくるのはすごくありがたい。新着論文はだいたいTwitterを使って調べているし、日本語で要約を上げてくれている人もいる。それに自分が知らなかった・持っていなかった考えを見るのも勉強になる。Twitterしていなかったら、男だったら働いて女だったら家事をするものだと思っていたかもしれない。ただ、どんな人につけても「その書き方??」と思うことが多くなった。研ぎに研いだ刃で滅多刺しにするような、親でも殺されたような(もちろん比喩ではなくそういう人もいるだろうが)表現をする人が、表現を見ることが多くなってきた。

 

そして、最近の色々で完全に嫌になってしまった。自分も口汚いし、ちょっと書いたことで友人を傷つけてしまったこともある。自分だってそんなことしたくないなと思うし、見るのも嫌だ。何よりそういう奴を見て「ああ、こいつ僕よりカスだな。」みたいな思考を働かせているのに気づいた時はとても死にたくなる。

 

「ほかってきまー」「めしってきまー」で満たされていたぬくぬくtwitterはもう帰ってこないだろうな。時間が経って僕もSNSの世界も変わってしまった。そろそろROMり時なのかもしれない。

 

 

あー、よねんめ寄席終わったわーー

よく大会とかコンクール終わりに部長とか顧問の先生がやるから響くのであって、平部員がこの熱量で来ると「アツいっすね〜」って冷笑されて終わる記事です。

 

よねんめ寄席が終わりました。

日曜夜でラグビーW杯日本対スコットランド戦が丸かぶりしている中、お越しいただいた方々、本当にありがとうございました。1年目の時からずっと「この代で寄席をやりたい」ってネチネチ言っていたのでようやく実現した、実現しちゃった、実現させてもらった、という感じです。

1週間経ちましたが、まあまあ思い入れがあったので、反省と自戒と思い出整理も兼ねて、つらつらひとりで振り返って行こうと思います。

多分この寄席のタイトルはビラ作るときに仮に決めたやつだったんですが、まあこれ以外になかったろうな、変にひねるより良かったなと思っています。

自分で寄席を開くときに気をつけている(?)事なのですが、世間の人は思っているよりも「寄席」という言葉に馴染みがないので、一貫して「〜落語会」にしていました。今回はずっと寄席で通してたので、わかるかな、人が来るかなと思っていたんですが、杞憂でした。こんなどうでも良い言葉尻ひとつにこだわわりがあったのです。

寄席を開くと決めてもすごく不安でした。

会場がちゃんと抑えられるかどうか。

僕の悪い癖で、自分で一から十までやろうとします。会場くらい人に頼めばよかったものを、誰にも相談しなかったばかりに、結局下調べが足りなくて、使える会場が一つ、かつ夜の開催になってしまいました。この点がまじで申し訳ない。結局人は来てくれたけど個人的には大反省な点です。同期も多分この頃やけに熱量があるんだかないんだか分からず突っ走って失敗する自分に辟易していたと思います。毎回そうなんですよね、自分が言い出しっぺのくせにうまくできなくて結局迷惑をかけて…ああ…ごめんなさい…そして何も言わずにいてくれてありがとう…


自分一人で舞い上がっていないか

タイトルの通り「いやぁ〜アツいっすねぇ」状態になってたらお笑いです。かと言って「どう?今の僕ウザくないかな?大丈夫かな?」と聞いてまわるのもコミュ障ぶりがエグいので、無限に疑惑が広がっていきます。だからなにかの反応で確認するしかないんですよ。
そんな中で、病まずにやれたのは同期からの反応がいちいちワクワクさせてくれる反応ばっかりだった事です。
あー、ビラも作んなきゃなー、でもデザインセンス無いしなー、でもみんな忙しいから頼みづらいなぁーって思ってたら、同期が「やろうか?」って言ってくれて、印刷までしてくれて、そのビラがこれ

 

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あ、そういやこの日体育の日と勘違いしてたわ(日・祝)ではない


いいですよね。四年間で進化していく感じが出ていてとってもいい。サラサラこういうの作れる人本当に羨ましい。しかもこのビラ院試終わってすぐに作ってくれたんですよ神かよ。すっごく現金な人間でよくないとは思うんですが、こういうの見せてもらうと「うおーーー」って燃えてきます。

もう一つ、同期が上げてくれたネタです。

僕はキモチワルイので主な同期とのコミュニケーションが「次なんのネタやるの?」しかありませんでした。そこで「ああ、この子こんなネタ興味あるんだ」「この人とコンビ組んでるのか面白そうだな」とか色々思ってました。主にこれは落語なんですが、同期が「いつかやりたい」的な文脈で聞いていたネタがありました。卒業口演とか然るべき舞台でやるようなやつです。そんなトップレベルに大切なネタを、みんな今回の寄席でぞろぞろ出してくれた。「ネタ出して~」って言っていたんですが、同期から「ネタ〇〇です」って連絡が来るたびに「最高」「よいね」とか語彙がなくなってました。嬉しすぎませんか?みんなこんなに本気で来てくれるのかってなりません?

コレ自体が思い上がりなのかもしれませんが、そのとき「ああ、この寄席やりたいって言ってよかったなぁ」って一人で思ってました。

あんまり浸るときもいので、ハッピーだったことは当日まで飛ぶことにして、まずかった点を書いていこうと思います。主に宣伝がまずい。

 

知人への声掛けを怠った

今回の寄席は少し野望があって、「新規のお客さんを増やしたい」ということでした。そこでなにを思ったのか、全く新規の人を呼びたいがために、あろうことか友達に声をかけるのを忘れていました。普段だったら来てほしい友達に片っ端からラインしてるのですが、今回はそこまでしていませんでした。同期がバイト先で宣伝してるとかいう話を聞いて、「あ!そういや全然何も言ってないじゃん!」ということに気づきました。そっから急いで学科ラインで呼びかけたり(ウザい)、個別に今まで来てくれた人に連絡したり(ウザい)…

やっぱりTwitterだけじゃ来てくれませんよね。個別に友達に呼びかけるのが大事だと改めて気付かされました。

 

エデン札幌客0人

そのまんまです。前々からこの界隈の人達が気になっていて、浅はかな僕は「この界隈の人たちを新規に呼び込めたらいいんじゃないのか?」と考えてこんなことをしだすわけです。

あああああ、この「SNSで人気があると勘違いしてるアカウント」感がものすごく恥ずかしいいいいい。思いつきで動いちゃったわけです。ツイート見てもらえればわかるんですけど、ある程度拡散とかいいねはもらえるんですよね。来てもらうかどうかは別として…

Twitter上で断続的にしか宣伝しなかった結果、まさかの当日客0人という悲惨すぎる結果に終わりました。しかもスマホも充電切れたので一人で4時間瞑想して過ごしました。最後に来た不謹慎マンさんに「ええー!まじっすか…それは申し訳ない」と言われました。こっちが申し訳ない。ちゃんとリアルの世界で色々呼びかけたり、もっと早めに動かないと駄目なんだなと学びました。

 

自分の落語に対する反省

こんな感じで闇雲に宣伝をしている間に、時間は過ぎていって、気づけば他のみんながめっちゃ仕上げてきてるのに、自分だけボロボロというとんでもない事態が起きてました。みんな落語もコントも驚くほど洗練されていて、これが四年目なのか…と思いました。本当に情けなくて恥ずかしかったです。寄席の言い出しっぺである手前、「おお~、仕上がってんね~~」とか口では言いつつ、内心は「やばいやばいやばい」のオンパレードでした。

今回僕は「創作落語」というものに挑戦しました。台本を自分で作るタイプの落語です。今までの先輩でも多分数えるほどしかやってる人はいなくて、しかもその完成度がバカ高い。自分にはそんなに力量はないと分かっていたので、とにかく汚くてもいいから笑いの量を増やす強引な手法で乗り切ろうとしました。

他の同期と比べたら本当に拙くて、汚くて、今回の寄席唯一の汚点があるとしたら自分の落語です。情けない。

こんなこと書いてると楽しい思い出が台無しになるので、一旦終わり。

 

当日になるまでも、嬉しいことはたくさんあって

それこそさっきの反応で見るしかないって話で言えば、皆が1回の練習会で完璧に近い仕上がりを見せてくれたことが本当に嬉しかったです。「ああ、この落語はこんな解釈ができるのか」「この人がやるとこうなるのか」「こんな凝ったコントができるのか」って毎回予想を超えてきました。いや、前々から思ってたけどウチの同期すげえ。こういうとき先輩とか後輩とかと比べてものを言いたくなりますが、そんなのないくらい素晴らしかった。

他にも当日のプロビラ(要はプログラム)をこれまた同期のそういうの作るのがめちゃめちゃ得意な子にお願いしてました。これは画像は載っけたらまずい気がするので載っけませんが、すげぇ。「四年目っぽい感じで!」っていう恐ろしくざっくりとした、かつ難しい指示しか出してないのに、こんな凝ったプロビラ仕上げてくるんだーっていう感じです。プロビラ自体がコンテンツとして面白いもんな。みんな多才すぎる。

このへんのことで「ああ、やっぱり同期すげえな最高だな~間違いねぇな~」って言う気持ちで当日までいれたので、まあまあ予定がキツくても精神が死なずにいれたのかなと思ってます。あ、結局当日まで嬉しかったことが我慢できなかった。

 

さあ当日の話です

文化祭とか始まる前のワクワク感あるじゃないですか。あれすっごく好きなんですよ。全員がソワソワしてるやつ。そんな感じのがやりたかったので、適当に理由をつけてサ館に集まってから会場に向かいました。19時開演なので落ち着かない時間が半日以上あるんです。精神状態が死んできますよね。サ館でもみんな暇があったらブツブツ落語を練習したりして、余裕なんてないくせに、「ああ、落研っぽいなぁ」とか俯瞰で見て面白がったりしてました。

会場に着いてからもめちゃくちゃあたふたしてました。設営をしたり、コントの暗転の練習をしていたり、ハロウィンが近いので配るためのお菓子を買いに行ったり(?)でも、忙しくてもハロウィンのお菓子って発想が出てくる同期、めっちゃ好きです。実際好評だったし。

あれよあれよという間に18:30の開場の時間になりました。ありがたいことにこの時点ですでにお客さんがちらほら。それから後輩も律儀に「お客さんが全員入ってから僕らが入ったほうがいいんじゃないか」とのことで、会場の外で待っていてくれました。入っていいのに…

19:00の開演前には結構なお客さんが入ってくださっていて、しかも見たことない方もちらほら…後輩が来てくれたり、薄い宣伝だったにもかかわらず何人か友だちが来てくれたり、本当に嬉しかったと同時に安堵したのを覚えています。直近で0人経験してるからな。ああ、とりあえず本当に良かった。

自分の拙い開演前挨拶から始まって、寄席スタートです。こっからあんまり聞けていないので、感想が薄い…

 

まず開口一番。本当に開口一番としてピッタリのネタでした。マクラでは結局本編のフリを語るスタイルにしたんだ(笑)噺の雰囲気と彼の空気感が本当にマッチしていて、本当に良かったです。爆発…とまではいっていなかったけど、寄席の空気づくりは最高でした。会のどこで使ってもしっかり「らしさ」を発揮していい雰囲気にしてくれるので、めっちゃ主催側としては安心要因です。

次にコント①。1年目のときからのコンビ。今までと違う感じのネタでしたが、これがハネるハネる!笑いの量でいったらこの日イチでは?1年目から見てて、もうすっかりこなれてるなって感じ。一つ一つのくだりと笑い声が完全にシンクロしてて、気持ちよかったろうな…すっげえよ。

中トリ。この子が中トリやってくれる日が来るとはって感じ。この日唯一の人情噺。ハプニングがあったけど、気にならなかった。普段開口一番で鍛えてるぶん、空気感の作り方とテンポ感が素晴らしい。それがちゃんと長い噺でも活きてるのがすげぇよ。感動できるのにちゃんと子供は可愛いんだもんな…もう一回どこかでちゃんと聞きたい。それくらい良い出来だった。

仲入り明け。自分だったわけだけど、マクラで調子乗って話しすぎたかな~、時間押しちゃったし。ネタが飛んだりとか、そのへんはなかったけど、どうしても粗さが目立つし、それはアンケートでも指摘されたところ。悔しいのでもっとブラッシュアップしたい。

コント②。まず2ネタ書くのがすごすぎるけどな。めっっちゃ凝ったネタだったね!暗転とか複雑だっけど、全くミスがなかったのがすごい。そして、ここは演技力がすごいと思う。①みたいに爆ハネではなかったけど、世界観のもっていきかたが完璧。正直、よねんめ寄席ではありあまるくらいのネタだったと思います。

トリ。中トリの子といい、トリの子といい、なんでこんなネタできるの今まで隠してたのかな~っていう。本当に自分のキャラを活かしてきますね。マクラはなまる!プロかよ。しっかり決めるところは決めてきますね~お客さんの笑いどころきっちりコントロールできてる感すごい。いつの間にか超技巧的になって…長さを全く感じさせない、よいネタでした。

 

仲入り明けに出ていったときに気づいたけども、お客さんが開演時よりかなり増えていたのが本当にありがたかったです。それに、お客さんが殆ど途中で帰らない。結局30分押してしまった訳だけれども、最後まで聞いてくれてありがとうございます。(それに実際あれは最後まで聞こうと思わせるような出来の寄席だったと思います。)

実際終わって

終わったあと、打ち上げで同期の一人が「全員本気だったもんな」みたいなことを言っていました。まさにそう!個人個人が今まで何かしら「やりたい」とか「やったら」と口にしていたネタ、そして練りに練ったネタを出した寄席でした。

不安だったお客さんも最終的に50人近く来てくださって、本当に良かった。普段の寄席から来てくださる方も、初めての方もいらっしゃってくれて、「ああ、楽しみにしてくれていた人はこんなにいたんだ」というので嬉しい気持ちでいっぱいでした。

それに今回、後輩とか会員の知り合いがたくさん来てくださったのが印象的でした。これはネタとは直接関係ないけど、同期の人達の人徳が為せたことだと思っています。正直、みんないいやつだから、誰から見ても多分「ああ、行ってやろう」もしくは「行きたい」と思わせるような人なのかな…と思ったり。

アンケートを見ると、「前より~」とか「ファンで~」とか書いてくれる人がいたのも本当に嬉しかったです。4年間、落研で皆それぞれ面白いと思うことをやってきて、個々のスタンスを確立して、それが色濃く出た寄席でした。成長を見守ってくれる人がいるというのは、学生のサークルならではのことだと思います。逆に、学生のサークル活動なのに、各個人単位で覚えてもらってるってすごくない??

結果、よねんめ寄席、大成功でいいんじゃないかと、企画側としては思います。

最後に

卒業口演とかあるのになんで年目寄席をやりたかったか。それは年目寄席が「できる」学年だったからです。幽霊が多かったり、極端に仲が悪かったり、そういう状態だと年目寄席は開けません。開ける人チャンスがあったからやりました。

上の年目や下の年目に、めちゃくちゃ落語が上手い人だったり、お笑いの天才みたいな人はいました。そのクラスの天才がうちの年目の全員かというと…少なくとも僕は違います。ただ、全員すごく個性があって、それぞれの落語やコントの良さがあって、それぞれめちゃくちゃおもしろい。内輪の感想かもしれませんが少なくとも僕はそう思っています。「こんな年目なんだよ!」「すごいんだから!」っていうのを見せたかった。

それにこの年目、すっごく協力してくれるし、みんな仕事ができるんですよ。こんなポンコツでも企画寄席をできるのはそれを支えてくれる優秀すぎるブレーンがいるからです。ブレーンっていうのはなかなかおこがましい言い方ですけどね。いい意味で常識的な、協力的な人が多いんです。

来てくださったお客様、そして何よりも同期がいて、この「よねんめ寄席」は開催できました。めちゃくちゃ長い感想になって、かつ1週間も経ってしまいましたが、ご来場いただいた方々、本当にありがとうございました!

そして同期の皆さん本当にありがとうございました。すごい!!

いつか「同窓会寄席」みたいなのができたらいいなとか思ってます。

 

最後の最後に

この代の卒業口演は2020年3月21日(土)です。今回のよねんめ寄席で「おもしろいな~」と思った方はぜひこちらにお越し下さい。また、毎月北大落研は北大構内で寄席を開催しております。詳しくはぜひ

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それではありがとうございました~~!(捨)

「0→1」と「1→100」

Twitterのアンケートご回答いただきありがとうございます。個人的には予想通りかなーって感じです。僕はちなみに「作りたい」派の人です。

例えば僕は演劇が好きなんですが、観に行くと、確かにめちゃくちゃ面白いんです。ただ、「こんな凄いものを作った人たち、達成感やばいだろうな」とか「あの舞台からの景色気持ちいいだろうな」と思うことがよくあります。

僕はこんな感じだったので、正直みんなそんな感じなのかなと思ってました。つまり、「何か新しいものを0から作りあげるのが楽しい」のが当たり前、0→1が一般的なのかなと思ってました。

 


一方で、大学に入ってからどうもそうじゃなさそうだということにようやっと気づくのです。1→100の人たちです。僕の友達はめちゃくちゃ優秀な人がいっぱいいて、「こいつなんでもできるやろ」って思う人がいっぱいいます。仕事頼んだらクオリティめっちゃ高いし、ディテール凄いこだわるし。多趣味な人も多いです。

 

ただ、そんな人たちが結構口を揃えて言うのが「いや、0からは無理」ということです。


試しにこの質問をあらかじめ1→100っぽい友達にしてみました。そうしたら、その子の解答が結構面白かったのでかいつまんで紹介します。


曰く、

・0から作るのは楽しいと思う。


・新しいことを作るのも凄いことだと思う。それによって得られる満足感も大きいのだと思う。


・ただ、そこに至るまでの苦しいこととか大変なこともその分凄まじい。


・その苦労を考えると自分でやるのではなく、その結果を見て楽しむ方がよい。

 


「なるほど」って感じですか?「当たり前」って感じですか?

僕は正直これを聞いてこの友達は、めちゃくちゃ先を見通せてすごいなと思いました。計算がすごいというか。もちろん褒めてますよ。

僕は0→1の苦しい部分が見えていないのか、低く見積もりすぎているのかわかりませんが、そこをあまり重視したことはなかったです。

こんな話を日常的に友達にふっかける僕はなかなかヤバいですし、友達もよく毎回、こんな当たり前のことをこねくり回した話を一緒にしてくれるなと思います。

 


きっと、これは学問の世界にも言えて

・教科書とか論文を読むのが好き

・新発見をしていくのが好き

 


最終的にアカデミアで研究していくのはおそらく後者の人たちだと思うんです。よく「研究者は覚悟が必要だ」とは言われます。ですが、実際アカデミアの人に話を聞くと、もちろん大変だったとは言いますが、「それ以外最初から考えてなかった」とか「研究にハマった」とかあんまり「苦しい」部分にフォーカスする人は少ないように思います。もちろん学生の前でそんなこと言うわけないでしょうけど。

ただ、単純に学問が好きだったり、議論は好きだったりする人はめちゃくちゃ大切だと思いますし、そういう人たちを育てるようなのが大学の役割ですよね。

 


ちょっと脱線すると、研究室の先生方に、よく「なんでこの実験手順を授業で教えないんだ...こういうのを教えるべきなのに...」みたいなこと言われませんか?僕としては、そりゃ教えなくて当たり前だよねという感じがします。さっきの話だと、人生楽しむツールを増やすのが目的ですし...研究者の卵を育てるのが必ずしも正しいわけじゃないような気がします。

そう考えるとなんだか研究室も社会も対象が違うだけで「役立つこと」を求めてるのは変わんないのかな...

 

 

さて、脱線を終わりにして整理すると


・参加者タイプの人は、どっちかっていうと1→100の人が多い気がする。

・企画者タイプの人は0→1の人が多い気がする。

・参加者タイプの人は、趣味として楽しいことを楽しみがち。

・企画者タイプの人は、趣味以上のこととしてがっつり入り込みがち。


というところかなと思います。

当たり前過ぎますが、今回アンケートも取って、友達とも話せて、かなり僕の中では整理されたのかなと思います。思いついたらまた追記するかも。

 


ではっ。

人を惹きつける話がしたいって?

久しぶりの更新なんですが、理科ネタではなく落語関連かつハイパー内輪ネタです。

 


ちょうど今大学のサークルは新歓シーズン真っ只中で、僕の所属している落語研究会にも新入生が毎週見学に来てくれます。ありがてぇ。

 


落研に来てくれる理由もだいたいパターンがあって

 


・落語やお笑いが好き(もしくは興味ある)

・新歓寄席で面白かったから

・お囃子がやりたい

・人前でうまく話せるようになりたい

 


落研に4年間も浸っていると、新入生が来るのはこの4つのどれかかなぁと思います。

 


この最後の「うまく話せるように」というもので、少し今日感じることがあったのでチラ裏のお話を...

 


今日来てくれた新入生の子の理由がまさにこれで、惹きつけるような話が出来るようになりたいとのこと。

 


個人的に「めっちゃええ理由やん~」と思います。僕自身落研っていう先入観もあれど結構色んな人に「話が上手いね」とは褒めていただけますし。

 


色々話を聞いていくと、国際支援のサークルに入っていたり、オーケストラの新歓に行ったりしていて、「興味の幅が広いな...!」と思っていました。

その中で、

「起業部にも興味があって」

と彼は言っていました。

 


起業部...?

 


僕はその界隈には疎いのですが、名前は聞いたことあります。良くない意味で。

「北大 起業部」で調べればわかると思いますが、あちゃーって情報がゴロゴロ出てきます。真っ当な団体ではない感じです。

 


僕側としては色々情報を示して、彼にはあまりその団体はオススメしない旨を伝えました。おそらく入ることはないということでしたが、彼曰く「新歓での話を聞いたら結構真面目に活動してて、トヨタに勤めてた人とかも指導してくれる」そうです。

 


ここでちょっと僕は引っかかったことがあります。

 


彼にとっての「人を惹きつける話し方」って何だろう?

 


「人を惹きつける」というとすごくいい感じに聞こえますよね。その一方で「言葉巧みに」という言い方もあります。どっちも行為としては同じですよね。

 


ひっでぇ内容でも、ちょっとしたレトリックで、ほんの少しの言い方の差、間の取り方で如何様にでもなります。内実が乏しくても、説得力のある言い方はできてしまいます。

 


色々ツッコミどころはあるんですが、なんかそれに気づかせないような工夫があったんでしょうか。

 


さておき。

 


起業部に関しては詳しく知らんのでこれ以上ツッコミません。怖いし。

問題なのは「惹きつける話し方とは何なのか」「それは落語で習得できるのか」という点です。

 


完全に私見ですが、落研で磨かれる(であろう)話の上手さは


・ストーリーの構成力

・抑揚をつけて話すこと

・滑舌と声量


が大きいかなと思います。


最初のは「どこで盛り上げるか」ということです。

落語だと”オチ”を第一に考えられる方が多いかと思いますが、それよりも「その話のどこが一番キモなのか」を明確にすることが大事です。自分が一番面白いと思ったところ、聞かせたいと思ったところが最も生きるように、話の構成を考えます。

いらない枝葉を切り落としたり、逆にくだりを足したりして、話をゴリゴリ編集します。

 

むしろオチは2番目の抑揚に関わります。

先輩が言っていたのですが、

「サゲ(落ち)はそこまで上げていたテンションが、ストンと落ちるから、落ち」

だそうです。

僕もこれに同意します。テンションやキャラに応じた話し方が抑揚です。自分の考えた筋がお客様の耳に違和感なく届きやすくするための抑揚です。どれだけ抑揚をつけたと言っても、それが耳心地の良いものでない限り意味はないです。


3番目の滑舌と声量は一番基礎で一番時間がかかるところです。

抑揚をつけても届かないと意味がないです。それに、不思議と、声が大きく堂々としてるだけで、面白く聞こえやすくなるものです。「でかい声の人は面白い」って先輩が言ってたなぁ。

滑舌がいいとお客様は聴いていてストレスがないです。

落語は「話芸」なので、一度成立する話があれば、どうやってお客様に心地よく伝わるかの勝負の気がします。

 

 

惹きつける話し方ですが、一般生活での惹きつける話し方というと、その先の「自分の主張を納得させる」ところまで含めている場合がほとんどだと思います。こっちを向いてもらって、自分の主張を論理的、感情的に相手に訴えかける。惹きつける、というか緩やかな説得です。


落語の方はというと、「演者の空間に引き入れる」ことができてしまえばそれでいいのです。何か特殊な主張を認めさせようとはしない。ただ、お客様にこちらを向いてもらって、釘付けになってもらいたい。集中してもらいたい。話の世界に没頭してもらいたい。

米朝は催眠術、談志はイリュージョンと呼んだのはきっとこれでしょう。

 


さーて、書いてみて否定できるかなと思ったんですが、これは微妙ですかね。

役に立つとも、立たないとも言えると思います。そもそも「惹きつける」が何を指してるかが違うので。


レトリックを使うとか、援用するとか上手くちょろまかすのは、確かに編集だし、通ずるものがあります。それに声は大きいに越したことはないですね。

ただ、先にも述べたように、一般社会の「惹きつける話」では説得要素が入ってくるので、多分落語では役不足な気もしなくもないです。

 


では僕は上手いこと話を言いくるめられる弁の立つ人間に、新入生になって欲しいか、というと...嫌です。


正直そこで終わってほしくないです。


そもそも落語は馬鹿馬鹿しいお話ですが、現代にだって十分通じる面白さがあります。果てしなくくだらない話、恋愛の話、ちょっと泣ける話、怖い話、色々です。


登場人物にもその話ごとに違う癖があって、本当にやっている時にその人に「なりきる」ことができるし、何だったら登場人物が「勝手に喋ってくれてる」と錯覚することさえあります。


また、個人的に「自己表現」としてすっごく魅力的です。ベースの台本はあるのに、演者によって解釈ややり口は千差万別です。一番面白いと思う所も個人差があります。

自分が「これだ!」と思うものをぶつけて、それがハマった時の達成感と言ったらないです。


「人を惹きつける話」が入り口でも確かにいいと思うのです。

でもその先で、落語ならではの機微を楽しんだり、自己表現を追求したりして欲しいなと思います。

逆に、「惹きつける話」のツールとしてしか落語を見れないのなら、それは浅はかですし、コスパ悪いなと思います。

 

 

なんてことない新入生の言葉から、めちゃくちゃ長文錬成した自分がキモいです。落研に染まったんだなあ。

学生落語とはいえ、一通り染まった身として、なんか落語がビジネスツールとして転用されることへの違和感を整理しました。参考になれば幸いです。

 

書きながら考えた。

地頭がそうでもないので「努力で解決した」っていう矜持があった。

小学校では割合でつまづいたし、中学でも1番にはなれなかったし、高校でもそんなに中の中くらいだったのに。

世間から見たら結構いい大学に来ることができた(できてしまった)と思う。

 

 

「あれ、僕ひょっとしたら頭いいのかも?」

 

 

思い上がりも甚だしいが、勉強を続けて、その勉強もシームレスに研究に繋がるだろうとも思っていた。

ただ、研究室選びが本格化してきてちょっと考えることがあった。


今まで自分が当たってきた壁は本当に「努力でしかどうにかならないもの」だったのか。ということ。受験然り、勉強然り、音楽然り。

 


ひょっとしたら自分クラスの人間が努力でどうにかなる程度のことしか、自分は挑んで来なかったんじゃないのか。

それを解決した気になって、悦に浸っていただけではないのか。

いや、むしろこの程度の人間ならば「努力で解決できるもの」しかそもそも一生見えないのかもと思ってきた。


そう思うと、急に自分のやることに全部制限がかかっているようですごく窮屈だった。


頑張れば解決できる範疇のもので試行錯誤する人生と、解決できなくても圧倒的なものに触れる人生とどちらが幸せだろうか。

 

ん?

ここまで書いてて思ったんだけど、頑張れば解決できる範疇のものって意外と広いのか?

例え圧倒的なものであったとしても、それは分割すればどうにかなるんではないか。


これだったら、どんなものにだって自分は立ち向かっていけるはずだし、解決できる、悩むことはできるはずだ。


効率は悪いかもしれない。速度は遅いかもしれない。間違うかもしれない。早急な結論を出してしまうかもしれない。ただ、自分のポテンシャルを、もっと言ってしまえば才能、を信じるしかないのだ。


人と比べれば、自分の考えがひどく陳腐に見えてしまうことがある。現にそう見える。今の時点で実験計画を立てている同期に勝てる気がしない。


ただ、勝つわけではない。時間としては1年与えられている。その時間で自分が全力でやってできる限りのものを、最終的に出せたらいいな。


そうやって出したものは、他の人と比べれば陳腐なのかもしれないが、確実に世界に新しい洞察を与えることができるはず。


結局何も解決してない??

堂々巡り??

車輪の発明??

それでも良いのです。

書くことは考えることなので。

これを通して考えていたのです。